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黄昏のビギンを聴いたことがありますか [読後の感想]

ビギン.JPG「黄昏のビギンの物語」佐藤剛、小学館新書、2014.6.7発行 を読んで

一気に読み切った。久しぶりのことだ。同時代感、それにつきる。そのとき流れていた唄、メロデイ、詩、すべてがひとつひとつ蘇る。またひとつ心の糧となるすばらしい本と出合うことができた。佐藤剛氏に感謝。

上を向いて歩こう、黒い花びら、こんにちは赤ちゃん、帰ろかな、等々、作曲家中村八大の手になる作品群。その中で発表時にはあまり大きな反響が得られなかった「黄昏のビギン」という曲。この唄を中心にして、中村八大が関わった戦後日本歌謡史を解き開いていく。曲が世に出てからすでに半世紀、記録も失われ人々の記憶も薄れていく中で残された疑問に挑み、仮説を立てその検証をする。唄に隠された謎を少しづつ明らかにしていくステップは、良質の推理小説の趣がある。詳細はここで明かすことはできないが、戦後歌謡史に興味のある人ならば必読の書であろう。

曲のカヴァー。これがこの本のもう一つのテーマである。中村八大とその世代の作曲家作詞家が壊すまでは、誰かの持ち歌を他の歌手が歌うことなどできなかった。つまり、日本の歌謡曲はレコード会社の販売商品であり、作曲家・作詞家・歌手を専属で契約し囲い込むことによって始めて利益を独占できるシステムであった。当たり外れの多い商品を目利きの腕で仕入れるのだが、商材の多くは単なる金食い虫で利益には結びつかない。だからこそ、囲い込みの仕組みが必要だという理屈に誰も疑問を持たなかった。

日本ではレコード会社が作詞家や作曲家と専属契約を交わして、出来てきた楽曲を各社がそれぞれに独占的に使用していた。他社の歌手に歌わせないのは、競争相手を利させることはないという理屈である。楽曲に商品的な価値しか見出さず、誰もが共有できる社会的な文化財産とは考えなかったのだ。

中村八大は永六輔と組んで、次々にヒット曲を出していく。1959年の黒い花びらから1961年の上を向いて歩こう、1963年のこんにちは赤ちゃん、そして、そして... これらが専属契約を持たないフリーランスの作詞作曲によって成し遂げられたことで日本の歌謡界は大きな構造転換を迎えることになる。作家が相応しい歌手のために、TV番組のために、プロダクションのために楽曲を提供することが当たり前になっていった。レコード会社の独占が壊れることで、優れた楽曲を素材として、歌手の個性と歌唱力で新しい生命を吹き込むこと、すなわちカヴァーが普遍化した。そして、時を超えて歌い継がれる、スタンダード・ナンバーが生まれ出した。その代表的な楽曲が「黄昏のビギン」なのである。

試しに、iTunesで黄昏のビギンを検索するとたちまち30を越える歌手の作品が並んでおり驚かされる。
アン・サリー、石川さゆり、稲垣潤一&島健、岩崎宏美、小野リサ、和幸(加藤和彦、坂崎幸之助)、川上大輔、河口恭吾、佐々木秀実、さだまさし、渋さしらズ&Sandii、セルジオ・メンデスfeat Sumire、鈴木雅之with鈴木聖美、中森明菜、氷川きよし、薬師丸ひろ子...

実は、1959年に水原弘がB面で吹き込んだ黄昏のビギンは発売後ほとんどブレークすることなく、一部の愛好家にだけ知られていたのだが、それから30年後の1991年にちあきなおみがカヴァーアルバムの中で取り上げたことで、知られ始めたという経緯がある。だからこそ、余計にiTunesにちあきなおみ版が見当たらないのは極めて残念としか言いようがない。



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